レイモンド・カーヴァー

いつものルートで本がやってきました。その中にレイモンド・カーヴァーの本が数冊あったのです。私は短編をあまり読まないし、詩に至っては殆どお呼びでない、というか理解できないといったほうが良いでしょう。短編と詩は同じようなところがあって、と私は思っているのですが、その中に入り込まないと、あるいは同化しないと作品の面白さが分からないようなのです。長編は読み進むうちに自然と作品の中に引き込まれますが、短編や詩は引き込まれる前に終わってしまう、要するに私の場合は反応が鈍いのでしょう。そんなこともあって“およびでない”状態が続いていました。
アメリカの作家は短編の名手が多いようです。古くはヘミングウェイなどもそうですし、あまり読んでいないからすぐには挙げられませんが、現代作家でも名手が何人もいるようです。レイモンド・カーヴァーもその一人でしょう。カーヴァーの詩集も今回の中にありました。詩については未だ理解しがたいと言わなければなりませんが、短編は面白く読みました。村上 春樹の訳も良かったのかも知れません。あの人の訳は読みやすいと常々思っていました、なんて知った風なことは言えませんが、平易な語り口であることが事実です。短編小説は日常を描くものが多いようですから、平易であることは大切なのでしょう。しかし、平易は単調と紙一重ですから平易を上手に書くことが出来る作家は文章上手ということになると思います(では村上春樹の小説が好きかというとそれはまた別の問題という・・・)。
アメリカで短編物が好まれるという理由は何なのかよくは知りませんが、本を読む層が都会に多く居て、シニカルでスピーディな生活が短編小説という、例えで言うなら清涼飲料のようなものを欲しがるのでは、なんて思っています。少し刺激があって気軽に楽しめる、こんなことを言うと短編好きには白い目で見られそうですが、地下鉄の中で読むと似合いそうな、そんな気がします。まあ、アメリカの地下鉄では物騒で本など読むことも無いかもしれません。


私は何処でも本など読みません。