大西 巨人を読む

今年の3月に亡くなられた作家大西 巨人の本を図書館から借りてきた。「神聖喜劇」という本を以前に、やはり図書館から借りて読み始めたのだが、あえなく挫折してその後この作家の本には手を出していなかった。
今回借りてきた本は「五里霧」と「深淵」の2冊だ。前者は短編集とも言うべきもので後者は長編ものとなる。まず「五里霧」から読み始め、次に長編にかかる予定であった。私はもともと短編物が苦手で、普段はほとんど読まない。しかし、前回のこともあるので短編から攻めてみようと思ったのだった。案の定にして短編は半分ほど読んでしまうと、その先を読み続ける気持ちが萎えてきた。そこで、気分を変えて「深淵」に路線変更した。短編はその後に読めばよいという算段である。
この作家の特徴、と言ってもロクに読んでいないのだから言えた義理ではないが、故井上 ひさしが書いていることを使わせてもらえば、この作家の本は、話の本筋に沿うように幾つもの枝道があり、その枝道ごとに細かい注釈がつけられ、それらが物語の中でも重要な役割をはたしている、といった重層的な仕組みの中で物語が展開するのが特徴と言える。考えようによっては大変煩雑で、場合によっては話の本筋を見失ってしまう恐れがあり、私が最初に読んだ「神聖喜劇」ではこの複雑な流れの中で溺れてしまったのだが、井上 ひさしほどの読み手にとってはその複雑さがとてつもなく面白く堪らないとのことであった。
「深淵」は4分の1ほど読み進んできた。例によって幾つもの流れが用意され、すでに溺れそうである。時間だけはたっぷりあるのでそれを浮き輪にして、もうしばらくは流れに乗ってみようと思う。どこまでもつか・・・、何とも言えない。

また途中で投げるんじゃ・・・