白磁の壺

なにかの本で見たのですが、床の間に大ぶりの白磁の壺が鎮座していて、これが実に恰好が良く、出来れば私も一つ欲しいものと古道具屋などを回った経験があります。白磁とくれば“李朝”と言われるくらいに朝鮮磁器が今も昔も有名ですが、あれはトンデモナク高価で、今出来のものでも私の懐では買えません。ましてや少し古いものともなれば全くの高嶺の花で、青山辺りの骨董屋の奥の方のガラスケースにしまって置かれたりしています。
まあそんな“高値の花”は別にしても、傷物や小ぶりの今出来の本邦ものでいいからと、機会があれば古道具屋を回り、手のひらサイズより少し大きいものを二つばかり手に入れました。もう大分前のことです。壺というよりは一輪挿しとでも言ったほうが良いものですが、そこは“見立て”というこの国独特の手法をフルに使って想像すれば、李朝ものにも引けを取らない楽しみ方が出来る、こともあるのです。
白磁の表面を眺めていると、大げさに言えば無限の世界が感じられるというか、丸い表面に反射する光の美しさは、高値も低値もない世界に誘ってくれます。表面の美しさという点では青白磁という、やや青みがかった磁器も綺麗なものです。そして青磁という、これはまた別物の美しさを誇る焼き物もあるのですが、それらは横に置くとして、この白磁の良さの一つは、手に取った時の柔らかさにあると思っています。磁器ですから柔らかいはずはないのですが、白い光がそう感じさせるのでしょう。白い光はすべての色が散乱して反射することで見える色です。きっとそんなところにあの白磁の美しさの秘密があるかも知れません。それにつけても、大ぶりの白磁の壺を誰か呉れないかなあ・・・・・。

白磁よりつややかで温かい私の白毛