天道 是か非か

のっけから何を言うかと思われそうですが、司馬 遷が「史記」の「伯夷列伝」中で嘆いている言葉です。
伯夷という人は狐竹国というところの君主の子で、仁義に厚い義人だったそうです。その伯夷がいろいろあって最後は山のワラビで命をつなぐ目に会い、やがて餓死してしまうという故事を知り、司馬 遷は「天道 是か非か」と嘆くのです。「天道は公平無私であって、常に善人に味方する。しかし・・・」という訳です。この列伝の後半に、正義にしてなお災厄に遇うことが起こると司馬 遷は述べています。いろんなところでよく引かれる件ですのでご存知の方も多いでしょう。私もこのところは好きで、紙に書いて机の上に張って置いたこともありました。
「地を択(えら)んでこれを踏み、時として然るのち言を出だし、行くに径(こみち)に由らず、公正にあらざれば憤りを発せず、而して禍災に遇う者、勝(あ)げて数うべからず、余、甚だ惑う」
ホントに世の中なんて分からないものです。もちろん天道も神も見たことないですから、そんなものに期待はしませんし、「正義は勝つ」なんてことが頻繁に起こっていたらもっとましな世の中となっていたでしょう。しかし、でもしかし、司馬 遷ならずともそんな世の中の流れに、どうにかならないのかと義憤を抱くのも無理からぬことで、私のように御託を並べてばかりいる蕎麦屋の釜でも、スーパーヒーローが出てきて活躍する物語にはつい引き込まれてしまいます。けれども現実にはスーパーマン座頭市も居ない訳で、何もしないで見ているだけでは世の中は変わらないのです。
じゃあ何かすれば世の中変るのかと言われると、変わることもあるかも知れないしそうでないことも多々ある、としか言えないのがこれまた正直なところで、私も甚だ惑っているのです。

何をまたグダグダ言ってるんだか