オリンピックを廃止しよう ( 続き)

「より速く、より高く、より強く」とかいうオリンピックのメインテーマは、スポーツ競技会としては当たり前の課題ですが、選手の能力向上のために莫大な費用と手間をかける現実は、そういった環境を享受できる者にしかオリンピックに出場する機会を与えません。またアマチュア精神を建前としていたルールは完全に反故とされて、今やプロ及び事実上の“プロ”のスポーツ選手中心の大会であり、優勝者には各々の国家から報奨金や様々な特権が付与されるまでになっています。選手、コーチ、トレーナー・・・など関係する人的周辺組織とそれぞれの加盟する団体・連盟、また用具、ウエアーメーカーを加えると、今やスポーツは一大産業とも言える様相を呈しています。言うなれば4年に一度のオリンピックはそれらの産業を支えるためのイベントであり、“スポーツ”という名前の商品を売る展示会のような性格を持つようになっているのでしょう。
国威発揚の場としてオリンピックを利用することも頷けません。ヒトラーがオリンピックを自らの野望のため利用したことは有名です。国別対抗という性格からナショナリズムを刺激しメダルの獲得数に一喜一憂する様は、本来個人のものであるはずのスポーツが国家権力(もう死語のように使われなくなった言葉ですが)と結びついた、必然的に選手やその周辺の関係者までが国家権力の代弁者のような口ぶりや顔つきになってくる、そんな悍ましささえ感じます。あれはムカつくんだよねえ。まあ戦争の代わりにやっているんだと思えばいいのでしょうが、何が民族の融和、平和の祭典なのか、単に国威発揚と運動用具メーカーのプロパガンダじゃないの、と嫌みの一つ二つも言いたくなるのです。
私はスポーツ大好きですが、ただ観るだけではなくむしろやる方が好きです。ただ団体競技よりは個人競技が好きで、テニスなどもダブルスよりシングルが好みです。要するに協調性が無いんだ、と言われそうですがその通りなので反論しません。スポーツは好きでもオリンピックには抵抗感を覚える理由は、「組織」の存在が大きく影響しているのでしょう。何でもそうですが図体がでかくなると個々の都合や気持ちは蔑にされます。現在のように大きくなり過ぎたオリンピックは、スポーツ大会としての意義からは遠く離れてしまったのですからもう止めにしましょう。一度止めてスポーツ本来の持つ意義などを再考してみるのが良いと思うのです。                  お終い。

深く考えるの