オリンピックを廃止しよう

建築家の伊東 豊雄さんが国立競技場の改修案を出しました。もともと伊東さんは新競技場建築のコンペに参加した建築家ですが、改めて現在の競技場を改修する案を発表したのです。
オリンピックに向けて建設が予定されている新競技場は、当初から無駄、規模が大きすぎる、建設に膨大な税金がかかりすぎるなどと言われており、人口減少や低成長、あるいは簡素化されたオリンピックという流れに逆行(実態は全く簡素化されていませんが)すると、反対する意見も多く有ったのです。現国立競技場を改修して臨むべきという考えは、建築家集団から当初より出されていた案であり、伊東さんは自分の案を発表することで改修論議を活発化したいとも思いがあると言います。また自身は仮に改修が決まっても設計には参加しないとも言われています。しかし、現競技場は7月からは取り壊しが始まるらしく、議論をないがしろにしてことを進める手法は、どうも昨今の流行りのようです。
競技場の建設、あるいは改修問題は、現在の世相やオリンピックという競技会の性格を象徴的に表しているとも思われます。何万人にも入るスタンドとその中にある本来の競技場とも言うべきトラックは、スポーツ観戦に適した施設とは言い難いものです。ほとんどの観客にとってトラック上の選手は米粒ほどにしか見えず、ただそこに居るという臨場感だけを味わう施設です。私も現国立競技場で一度だけスポーツ観戦をした経験がありますが、かなり上のほうの席だったので顔などは勿論のこと、何をしているかさえ定かではありませんでした。あのような施設は開会式などのイベント向きであり、TV中継を前提とした舞台のようなもので、観客は単なる道具立てとして居ればよい類の飾り物です。競技者も観客もイベントのパーツでしかない、生の臨場感を醸しだすための要素となっているだけのものです。要するに、あの馬鹿でかい入れ物はスポーツをするところでも見るところでもない、単なるイベント会場であり、たまたまそこで運動もできるといった程度の施設でしかないのです。現在のオリンピックはスポーツという見世物興業の場であり、IOCはその興行主です。4年に一度のイベントに向けてどれだけの”金”が動くのか想像もつきませんが、政治家や企業、官僚などを巻き込んだ一大事業に群がる有象無象の思惑が渦巻く修羅場とでも言いたくなる、およそクーベルタン精神と言われるものとは無縁の代物と思えるのです。
つづく

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