「ノモンハンの夏」を読む

ノモンハン”と聞いてピンとくる人は昭和史に強いか戦中の関東軍に居た人辺り(もう生きていないか)で、地名なのか人名なのかそれさえも判然としない人が多いでしょう。半藤一利著「ノモンハンの夏」は、1939年5月から9月にかけて、当時の満州西北部の国境付近でソ連との間で起きた国境紛争を検証した読み物です。私もノモンハンについては、司馬遼太郎五味川純平の書いたものを読んだ程度の知識で、詳しい戦闘の記録は今度初めて読むこととなったのです。
私を含めて“反戦”を口にする者がどれだけ戦争を知っているかというと、甚だ心許ないというか、おそらく公式に出されている戦史はおろか、戦記物と言われる読み物さえあまり読んでいない人が多いのではと思います。大岡昇平の「俘虜記」や「野火」といった名作、同じく大岡の「レイテ戦記」など(正直言いますとこれぐらいしか知らないのです)は比較的読まれているでしょうが、やはり「1Q84」辺りとは比べるべくもないマイナーで、それに戦場の状況を克明に描けば描くほど話は暗くなり、読み手は体力勝負といったハンディーを背負わされますから、また済んだことでもあるしするのでついつい手が遠のくということになってしまうのです。
しかし、戦争を起こさないためには戦争の原因と実態を知ることが肝要で、ただ気分で反対と言ってもいざとなると脆いものと言えるようです。「ノモンハンの夏」は、戦場の実態を記すというものではなく、ノモンハン「事件」を指揮指導した関東軍参謀や高級幹部と陸軍参謀本部との確執を中心に描いたものですが、これを読んで当時の陸軍の暴走を許したのは、何も知らないし、知らされていなかった国民の支持であり、第2次世界大戦への突入も、連合国との国力差を全く無視した軍部政府の無定見とそれを支持した国民の責任が大きいと、つくづく思ったのでした。もちろん高級参謀を中心とする軍上層部の責任、それらを許した天皇の責任は当然あるとしても、国民の無知が無ければあれほどまでにはならなかったと、今さらながらに考えるのです。
翻って思うに、今も昔も変わらねえなあとゲンナリするのです。
PS 明日から休み、連休明けに御目もじ。

久しぶりの登場です