理念より安定

2020年オリンピックの開催地が東京に決まり、金儲け屋と筋肉馬鹿が喜んでいます。それにしても今回のオリンピック開催決定は、いよいよ理念の遠のいた競技会となったとの印象を決定づけたような気がします。オリンピック本来の精神から言えば、スポーツを通じて国と国、東西南北間の融和が大きな目的となるはずで、その上に立ってヒトの限界を追求する競技会であるとの思いがあるからです。イスタンブールが安定性に欠けるという要素をはらみながらも、オリンピック理念という観点から開催地として有力という、ごく真っ当な意見がIOC委員の中で多数派とならなかったことで、ますますオリンピックの商業化とスポーツ本来の意義が失われてゆくスポーツ競技会という、理念と矛盾した大会運営が続くことが決定的になったと思われます。商業化と安定は表裏一体であり開催地決選投票の結果(60対36)はそのことを如実に示しています。
まあ、今さらオリンピックに期待するものなどないので、どんなオリンピックになろうと良いのですが、原発事故処理や予想される東南海地震、あるいは首都直下型地震など問題山積の中で、商業イベントに血道を上げるこの国の政治家たちの無分別、無責任には呆れを通り越して怒りさえ感じます。夢よもう一度とばかりにオリンピックバブルを画策する連中の、馬鹿騒ぎと与太話にしばらくの間付き合わさせられることはうんざりですが、この国の7年先に安定があるのか、あるいは私自身が存在するのかという不確定要素も多いとも考えられますから、本当のところ、東京でオリンピックを見られるかどうか、今一つ実感が伴いません。開催を返上しなければならない不測の事態だって起こりうる訳だし、ねえ・・・。大友克洋の名作“AKIRA”によれば、2019年にネオ東京は壊滅状態になるという話もあるし・・ねえ。

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