感性

刺激に対する直観的感覚、感性とか感受性と言われるものは、持って生まれた部分と環境の中で獲得した部分とに分かれると思いますが、後天的に獲得した部分は年齢を経るにつれて失われてゆくような気がします。もちろん不断の努力によって研ぎ澄まされてゆくこともあるでしょうが、凡俗は歳とともにそのようなものは衰え、何を見ても聞いてもさしたる驚きもなく、琴線に響くこともなくなってゆくようなのです。生来的に鋭い感性を備えている人は年齢になど関わりなく、常にぶっ飛んだ世界を経験できる能力を維持することが可能であり、芸術家と言われる人種たちはそういった能力に長けている人たちであるようです。
医者、役者、記者、芸者はやくざな商売、と喝破したセリフを何処かで聞いた記憶があります。なぜ“やくざ”なのか、その辺りはよく覚えていませんが、画家や音楽家もその昔はやくざな商売だったようで、パトロンを探してやっと“おまんま”にありつくという浮草稼業とも言える職種であったと言われています。あのビンチ村のレオナルドにしても、有力なパトロンを探してあちこち旅をするという状態であったのです。天才の名をほしいままにしたアマデウスも同様な生活を強いられました。我が国の画狂人こと北斎先生も引っ越しに引っ越しを重ね、長屋暮らしに終始する生活であったと言います。しかし、そういった生活環境であったればこそ、持ち前の鋭い感性がさらに磨かれる条件が、つまり自分の感性を際立たせる以外に生きる術がない環境が、あのような高度な芸術を生み出したとも言えるのです。
私は今のところさし迫った不安もなく、三度の食事もどうにか頂ける境遇にあり、猫のお腹を撫でてへらへらしている体たらくですから、感性を研ぎ澄ます環境からは程遠い所に位置しています。したがって、持って生まれた鈍い感性がさらに鈍くなるという負のスパイラルに陥っている状況なのです。研ぎ澄まされた感性を獲得するか、あるいは三度の食事と猫の腹撫でとの生活を続けるのか、難しい選択に迫られる日々でもあるのです。

これにねえ つい引き込まれちゃうというか・・・