百日紅

百日紅さるすべり)が綺麗な花をつけています。暑い夏の花の代表格とも言うべき百日紅は、街路樹や庭の花としてよく見かけます。小さい花弁が密集した赤や桃色や白い花冠を、枝の先端がしなるほどに付けて咲き誇っています。猿も滑ると言われるなめらかな樹幹と濃緑の葉が、鮮やかな色彩の花冠を一層引き立てます。百日紅の花は暑い夏の楽しみの一つでもあるのです。
などと太平楽を気取って居られるのもあと僅かの時かも知れず、“ああ、あの時すべきことをしておけばよかった・・・”なんてことにならないように、注意深く慎重かつ大胆に行動を起こせるよう、常日頃から体力、気力の充実に心がけて、来たるべき蜂起の時に向けて準備を始めよう・・・、てなことにもならない訳でして、もう老人のグダグダのヨレヨレですから、ここはまあ程々に注意を喚起し、出来る範囲で発言するという小市民的なスタイルを堅持しようと、この暑いさなかに改めて思ったりしています。
え!何のことかって? いや、原発が事故った時にも、事前の対応を怠った東電や政府の姿勢に、私はあまりに無関心であった訳で、今から思えば幾つかのイエローサインは出ていたのだし、廃棄物の処理法さえ定まらないシステムを野放しにする現状に、通り一辺倒の反対しかしなかったことの後悔が有るのですよ。ですから、「集団的自衛権」の認知に向かって突き進む今の安倍政権には、大いに危惧を抱くとともに、それらを容認しようとする社会風潮にもむかっ腹が立つのです。聞くところによれば、戦後50年の節目に出された内閣声明「村山談話」を、再来年の2015年の戦後70年には否定した内容で出しなおすらしいですし、どうやら安倍首相は天皇、日の丸、君が代国家主義を、この国の中心に据えたいようなことを本気で考えているらしいのです。
でまあ、そんなことになっては困るし、なんとか今以下の政治状況や思想信条をないがしろにする世の中にだけはなってほしくないので、せめて小市民的なポジションで立ち向かえないかと考えているのです。百日紅のように暑い夏に堂々と咲き誇るような訳にはいかないのですが、せめて、その足元ぐらいには近寄りたいと・・・。

眠い
PS 貼り付けの作業にミスってしまい、訂正したものを再掲載しました。