国家、宗教、日本人

今日のタイトルは1996年に発刊された司馬遼太郎井上ひさしの対談集のものです。すでにお二人とも鬼籍に入られて久しくなりましたが、今この本を読みかえしてみると、対談の中で語られた幾つかというかある意味ではほとんどの事柄が、未だそのままに放置されているか、あるいはさらに悪化しているかもしれないという現実を、あらためて思い知ることになります。
憲法改訂や原発再稼働と言った政策を掲げる政党が、国会内の両院で多数派を占めることが現実的となる日が近づいています。現在の選挙制度の中では、国民の意思の反映が十分にされないままに、特定の政党の思惑が実行されてしまう、そんな危機感がますます膨らんでくる思いがします。個人の力では限界があるからと、自分に言い聞かせているだけでは、もう間に合わなくなる日も近いかもしれません。私は前回の都議会議員選挙を棄権し、今回の参議院選挙も棄権しようかと思っています。どうせ改憲派原発推進派が多数派を形成する選挙であるなら、せめて投票率を徹底的に低くして、選挙そのものの有効性に疑問が生じるようにさせる、それが投票棄権ではないかと思っているからです。結果的には投票に行っても行かなくとも、どちらに転んでも変わりない現実があります。だから、現行の選挙制度を変えない限りこの問題の解決はおそらくなく、選挙制度を変えるには議会で多数派を形成しなければなりません。この辺りのジレンマはどのようにすれば良いのか、妙案はありません。
司馬さんと井上さんが行く末を案じた国家と日本人は、これからどうなってゆくのか私にはわかりません。幸いにもこの国は宗教に深くかかわることなく来ましたから、訳の分からない教義のために争う愚だけは避けられました。どちらかというと宗教には好意的なお二人でしたが、宗教が地球上にもたらしたマイナス面は、プラス面を突き崩してなお深い穴をあけたと私は考えています。ですから今後ともこの国が宗教にだけは深くかかわってくれるなと切望しますが、政権与党の一翼を担っているのが宗教政党なので一抹の不安がよぎります。
 

貴女はそう寝てばかりいるけど・・・