バベルの塔

馬鹿とサルは高い所が好き、と子供の頃によく言われました。私も高い所は好きなほうですから、その指摘は間違ってはいないと思います。しかしヒト全般にこのことは言えるようで、上昇志向というか、1メートルでも高いほうが価値があると思うのか、建築物や構造物などは高さがものを言うことが多いようです。伝説のバベルの塔だけでなく、この国でも出雲大社の神殿は50メートル余りの高さがあったと言いますし、ゴチック建築の針塔なども高さを競って造られました。人工物だけでなく巨木信仰や山岳信仰なども“高みに神宿る”といった発想からのものだったのでしょう。
現在の建築学の知識と工法を駆使すれば、千メートルを超す建築も可能と言われています。最近ではドバイのブルジュ・ハリファ、別名ドバイタワーは828メートルですから、千メートルを超す建築物も時間の問題で出現するでしょう。なぜヒトはそこまで高みを目指すのか、便利さを考えれば地面に近い方が有利と思いますし、地震や災害に対する備えも格段に同様であるでしょう。建物だけでなくヒトの身長も高い方が有利とされ、“3高”などと一時もてはやされました。高さに対する憧れに似た感情の根源は、草原での生活で獲物や敵をいち早く見つけることが出来る、といった初期人類の必要性から生まれたとも考えられますが、やはり“馬鹿”!ということに尽きると私は考えています。家だって2階建て3階建てより平屋のほうが使い勝手がよく、離れのある平屋などは最高です。当然のこととしてそういった造りの家屋は庭も広くゆったりとしています。“木造3階建”なんていう建物は“建売安普請庭なし違法建築”の典型で、10年も経てばバラックとなる代物です。よくあんな物に何千万円も出すのか気がしれません。
話がずれてきましたが、結局私は何を言いたかったのか自分でも良く分からない・・・、ああそうそう、今は世界中に塔がやたら建っていて、バベルどころの話ではない状況になっている中で、東京スカイツリーという塔の無個性さ、立地環境の悪さには改めて驚いたということを言いたかったのです。「世界のタワー」という写真集の中にはユニークで夢のあるタワーが目白押しです。それらと比べるとスカイツリーは・・・、まあ日建設計が絡んだ仕事だから仕方ないか。
タイトルと関係のない中身でした。

バビロニアの時代から私たちは神