触れる、あるいは触る

新宿歌舞伎町あたりの“フウゾク”では触れるとか触るなんて話題にもならない世界でしょうが(よくは知らないけど)、同じ歌舞伎町でも“座って2万、ボトル2万、おつまみ1万”なんて言う分かりやすい“明朗会計”のクラブやバーなどでは、若い綺麗なおねーさんが、古典的な、膝頭を一部くっつけたり、肩を寄せてくるなどというサービス(よくは知らないけど)を今もしているのではないでしょうか。あれはなかなか良いもので(よくは知らないけど)、露骨でなくそれでいてそこはかとなく好意を感じるものです。不思議なもので、同じ触れるでも満員電車の親父の汗臭い背中とか、厚化粧の・・・などがくっついてくると、むかっ腹が立つものでしかなく、ヒトの感性の多様性に思いを致したりするのですが、今日の話題はそのような俗な世界ではない“触れる、触る”について考察したいと思うのです。
うちの神様のような毛深い方の種族は、触り心地が他の種族と比較しても格段と優れていることはすでに定評のあるところで、パンダやコアラを触ったことがないので何とも言えませんが、きっと地球上の全生物の中の“触り心地コンテスト”ベスト3に入ることは間違いないと思われます。柔らかい毛とやや高めの体温、しなやかで筋肉質な体と適当な大きさなど、絶妙なコンビネーションで触り心地抱き心地ともに満点と言って良いでしょう。ウサギや犬なども触り心地の良い種族ですが、ウサギは反応がイマイチですし、犬はあまりに従順すぎて哀れになってしまいます。そこへ行くと猫族のあの我儘っぷりや一筋縄ではいかない気まぐれは、触るにも触れるにもそれなりの手順を踏む必要があり、まして抱っこなどさせてもらうには、大変な気を使うことも場合によってはあるのです。その辺りは歌舞伎町の綺麗なおねーさんにも通じる(よくは知らないけど)かも知れず、苦労して得る成果と言うか、自分の足で登り頂に立つと言うか、気まぐれに人の横に来てぺったりくっついて眠るなんてときなどは、思いもかけない僥倖とばかりに喜んだりもします。
“猫吸い”とか“モフモフ”とかいう行為がその筋では話題となっていますが、これは“触る”や“触れる”をさらに過激にしたもので、歌舞伎町の“フウゾク”に近いものがある(よくは知らないけど)でしょう。しかし、決して悪いものではなく、私もその行為には抗いがたいのです。それほど触り心地のよい種族なのです。

何がモフモフだって・・・