車、バイク、エレキギター・続編

若年層の車離れやバイク離れは定着化していて、いきおい海外に活路をとばかりに輸出と海外生産がすでに中心となった自動車産業は、国内の雇用に興味を示さずに、したがって購買層を創ることも放棄し、おそらくアメリ自動車産業の二の舞を演じる羽目になることでしょう。生まれた時から物に溢れた生活が当然の人たちにとって、「物」に対する執着を待たなくなることは必然で、そういった階層を相手に商売しなければならない産業はしんどいものがあることも事実です。ただ作れば売れる時代から、洗練され吟味された商品と先端技術開発のみが生き残る条件である世界は、結局のところ先進国共通の低成長高消費という矛盾極まるドツボにはまり、内に失業と格差社会、外に束の間の高利潤海外資産の展開というちぐはぐな車を運転し続けるのです。
馬鹿の一つ覚えとも言うべき“成長戦略”構想は、すでに過去のものであり先進国にとっては幻想を追うようなものでしょう。世界中が成長戦略を採りだしたが最後、地球は間違いなく破滅に向かう道を歩むことになります。エネルギー、食糧、自然環境などなど、どれ一つとっても今の地球には負荷が大きすぎるのです。私も自分で何を言っているのかよくは分かりませんが、全世界を対象とした現時点での“シビル・ミニマム”及び“シビル・マキシム”を設定して、資本や産業の無計画な開発と無政府性に一定の規制を設けることを前提に、各国間の格差是正に地球規模で取り組む必要があるように思います。
てなことを思ったところで私には何も出来ない訳で、私に出来ないことが国連に出来る訳がないと・・・、いや間違えました。国連にできないことが私に出来るはずがないと改めて思うのでした。
 

なに?私は何でもできるよ。