自然の景観

庭園や街並みなど、ヒトが創った景色にも美しいものがたくさんあります。自然の中では決してありえない、けれど一つ一つがバランス良く配置されて、見ていて飽きのこない景色というのがあります。新宿御苑浜離宮の高層ビルを背景にした景色などは良い例で、もちろん好みの問題もあるでしょうが、私は好きな景色の一つです。
花の時期になると決まって“名所”と言われる場所が紹介されます。ボタンやバラ、ツツジ、今の時期だとアジサイなどが有名で、各地の庭園やお寺などが多いようです。これらは庭師が造った庭ですから、ヒトに見られることを前提に木や花を配置して、美しく見えるように常に手入れされます。整形美人と同じで、化粧もかなり濃いのが特徴です。
ヒトの手が全く加わっていない景色には、往々にして人智の及ばないほどの美があることが多く、よく“自然の造形”などと言いますが、造形そのものの意思も何もない、作者も居ない、意図も目的も無い、あるがままの世界に私たちは驚くのです。結局のところヒトの審美眼は自然の模倣に近いのですから、もともと勝負にならないと言えば言えますが、何のためにこれほどの景観が用意されるのか、誰のための美なのかと思わず“超越”の存在を考えたくなる時さえあります。身近な草花やコケなどの小さなものも造形的には目を見張ることが多く、そういった小さな景色から雄大な景色までに、まさに意志さえ感じられるものがあるのです。熊笹の中に点々と散りばめられた色とりどりの紅葉樹、新緑の木漏れ日の中の沢の流水、梅雨時の雨上がりに朝日が当たって発色する赤富士、挙げれば切のないほどです。「なべて景色はよきに 人のみぞおぞましき」とは誰かの言った言葉ですが、行列で登るブランド志向の人達には分からない景色かも知れません。富士山が景観では遺産に選ばれなかったのもうなずけます。
 

富士山もヒトが見えないと美しい