限界

物事には何でもこれ以上はダメ、無理と言う臨界点があり、この分野でダントツに有名なのはハイゼンベルグ不確定性原理と言うやつでしょう。勿論のことその原理がどんなものであるのか私はよくは知りませんが、原子もしくはそれ以下の大きさのレベルでは物質の正確な位置や速度を知ることが出来ない、という原理です。それが何を意味するのかについては各自でお考えになっていただくとして、要するに“何でも分かると思ったら大間違い”ということの論証であると言えます。
続いて数学の分野ではクルト・ゲーデルという人が不完全性定理というものを編み出し、次にはケネス・アローという人が“投票者が属する社会の選り好みを、各投票者の選り好みに基づいて満足に表せるような票の集計方法はない”との結論を導き出すに至ります。 
この三つが私たちの能力の限界を示す帰結“ビックスリー”と言われているそうですが、分からないこと、駄目なものは必ずあり、いやむしろそちらの方が多いと私などは考えてしまいます。しかし、科学者や研究者にとって不明なこと不可能なことは、いくつかを除けば必ず解明されると信じているようで、だからあえて“ビックスリー”などと言って特別扱いをしているのでしょう。
その特別扱いされている3番目の帰結が、投票行為についてのものであることは、私たちにとって全くの不幸であると思わざるを得ないのです。だってねえ、選挙で選ぶという方式が“限界あるよ”と結論づけられたのですから、“じゃあ外にどんな方法があるのよ”とも言いたくなります。考えようによっては、専門に研究している人たちから“匙を投げられた”訳だし、何の因果でそんなダメな制度にシガミツカナケレバならないのか、お先真っ暗とも言える帰結でもあるのです。けれども、間近に迫った都議選の投票のことを考えると、あながちそれは的外れでなく、だからなおのこと困ってしまうのでもあります。

うー限界だー