“取説”を読む

高村 薫さんの「晴子情歌」に引き続き「新リア王」を読み、これで3部作は2度読み通したことになりました。だからと言う訳でもないのですが、あんな訳のわからない本を読んだ後だから、“取説”こと取扱説明書を読んでも理解できるだろうと最近買ったカメラの取説を最初から読み始めました。しかし、やっぱり分からないものは分かりません。取説は永遠の難解本です。機械物は習うより慣れろですが、最近のデジカメは機能満載ですからすべてを使い熟すことなど至難で、その辺りぐらいは承知していますから、主に使う頻度の高い機能を中心に読んでいったのです。それでも理解できませんでした。昔の(出ました。これが出るようになると、もう老人真っ盛りです)フィルム一眼レフが懐かしく、あの頃は露出とピント合わせが出来ればよいだけでしたから、取説も簡単なものでした。
だからと言ってデジカメは使いづらいどころか、簡単便利を絵にかいたような代物で、余計な機能に惑わされなければその日のうちにきっちり写真が撮れます。第一に撮った写真を現像する必要が無いからその場で見られる、現像料を心配せずに何枚でも撮れる、因みに私のメモリーは64ギガで2700枚の撮影が可能です。フィルム約1000本分ですからとても撮りきれるものではありません。もちろんピントも露出もシャッターもオートですし、鮮明な動画は録音つきで撮影できます。こんな高機能ともなれば取説も複雑になってしまうことも分からなくはないのですが、PCの取説同様に難解な代物となっています。携帯電話も同じように高機能で使い熟せませんが、どうも高機能商品特有のジレンマなのでしょう。あるいはこちらが追い付いていけないと言った方が正しいかもしれません。
 

この方の取説はさらに不可解