今日は昨日の続き 今日の続きはまた明日

私たち生き物は基本的に現状肯定、保守的な面が強いのです。ですから昨日と今日が違えば居心地が悪く、落ち着かず不安定になります。順応性や創意工夫もそういった不安定な状況を克服する手段として、年月をかけて獲得した遺伝的な習性ではないかと考えていますが、昨日と今日はいつも変わらず、明日も同じようにやってくると思うからゆっくり眠れるのです。
ところが地球というか、宇宙というか、私たちを取り巻く環境は変化することが前提で創られていて、たまたまタイムスケールがヒトや他の生物と違うだけなのに、私たちはついつい世の中は不変、昨日と今日は永遠に同じと思いがちになっています。仕方ないですよね、ヒトはせいぜい100年ぐらいのスパーンでしかものを考えることが出来ない生き物です。50億年とか100億年とかいう宇宙スケールの時間は、私たちにとっては無限と同じ、永遠と同意語なのです。たしかに100年、200年前まではそれで十分だったし、世界を理解する認識の必要条件を満たしていたはずだったと思うのです。しかし今では宇宙の年齢や太陽の寿命までかなりの精度で推計できるし、当然地球の最後もそのシナリオも分かっています。有限の未来とおそらく生物の絶滅の時期も近いうちに計算できる時が来ると思います。「今日は昨日の続き 今日の続きはまた明日」というフレーズは、昔ラジオか何かでやっていた連続ものの一節だったような記憶がありますが、もうそんなのんびりした時代ではなくなってしまったのでしょう。
突然思い出した昔のフレーズに、何か急に足元が見えなくなってしまったような不安を感じました。先が見えるとかえって近くがぼけてくる、“あ!これ老眼だ”と妙に納得もするのですが・・・。
 

変な文句を想い出したのね