金(きん)

鉄や銅、アルミなどと比べて役立たずの金属である金は、北アメリカの先住民や一部の人たちにとっては額面通りの価値のない物で、いわゆる文明人と呼ばれた人たちが金をありがたがるのを奇異な目で見ていたと言われています。開拓時代、別な言い方をすると土地強奪、資源略奪、先住民虐殺時代の北アメリカは、川から出る砂金に目がくらんだ白人によって「開拓」がされたとも言えます。南アメリカはその前から金の産地としてスペインはじめヨーロッパ植民地主義の国から、略奪、虐殺の洗礼を受けていました。インカやアステカといった優れた文明は、まさにヨーロッパの金に対する欲望のために滅ぼされたと言っても過言でないようです。
私たちの国はマルコ・ポーロというオッチョコチョイによって、「金の家と金の貨幣に満ち溢れた国」と宣伝され、ヨーロッパの山師から盛んに憧れの国として垂涎の対象とされてきました。けれど、なんてことはない、紙と木でつくられた粗末な家屋と、痩せて襤褸切れをまとった人たちが多くいる国だったので難を逃れたようです。襤褸切れをまとう習慣は無くなりましたが、粗末な家に住む習慣は今も生き続け、おまけに近頃では街全体が出鱈目な造りとなってしまい、放射能汚染と地震の恐怖で観光客もあまり寄り付きません。
ヒトが金に目がくらみ、有難がるのは希少なものであることと、その輝きに原因していると言います。仏陀は金色に輝く身体ですし、いろんな神も光っているから、光るものイコール金、有難いという図式が出来上がってきたのでしょう。しかし、金がなくてもヒトは生きられますが、水や空気や土や微生物は無ければ生きられません。道端に生えている草はいざとなれば食べられるかもしれないし、樹木は寒いときには暖をとれます。金ではスープはとれず、金箔は腹の足しにはなりません。「金冷え」という言葉もあるくらいですから金を抱いても暖まりません。因みに、地球の核の部分には何百万トンもの金が溶けているそうです。地表面では珍しい物でも、中に入れば決してそうではない、なんて言うのは持たない者の負け惜しみですかね。いや、私だって目の前に金の延べ棒でも置かれれば、喉から手が出るほど欲しいですが・・。
 
 私 金なんか興味ないの