何でも使ってしまう

このところダイヤモンドとか金などと、縁のない物に絡んで考えを致しておりましたが、何てことはない、図書館から借りてきた「図説 世界史を変えた50の鉱物」という本を読んでいたからなのです。
ヒト、別名ホモ・サピエンスとは「知恵あるもの」という意味らしいですが、使えるものは何でも使うし、好奇心や工夫好きといった特徴を持つ私たちの種は、知恵はあるものの配慮に欠ける、もしくは欲に走る性癖が強いとも言え、ヒト以外から見れば異端でしかない種でもあることもまた事実です。この本に挙げられた鉱物以外にもあらゆるものに興味を示し、場合によっては使い尽くしてしまうこともままあります。金や銀などの希少鉱物のほか、鉄、銅、石油、最近ではレア・メタル、シェール・ガスなど、利用できるもの、別の言い方をすれば“金(かね)になる物”であれば何でも掘り出し、その貪欲さは留まるところを知りません。地球上の鉱物資源は間違いなく有限ですから、次から次へと使い切ってしまえばその先はありません。この辺りはイナゴ並みで、彼らは緑が無くなるまで食い尽くし、その後は卵を産み付けて死んでしまうのですが、ヒトは卵を産み付けることは出来ないので、どうするのでしょうか。知恵のあるものとは言い難い行いとも言えます。
この本の中で紹介されている50の鉱物の終わりのほうに「ウラン」があります。今やこの鉱物は私たちにはお馴染みで、この鉱物が分裂することで放出されるエネルギーや放射線が、日常生活に大きく影を落としています。なんでこんな「パンドラの箱」とも言える鉱物を掘り出したのか、ヒトの飽くなき好奇心と欲望の象徴のようにも思えます。なんせ、傍にいるだけでコロリと行ってしまうほどの危険物質が、日本中に山にように溜まっているのだし、それの処分地さえ決まってないのです。なんでそんなものまで使い出したのか、破壊兵器の製造過程で出てきた余剰技術なんかに頼ることはなかったと、今さら悔やんでも仕方ないのですが・・・。
 
 破壊兵器