自分勝手

私は去年あたりから「自分勝手」を信条として生きることをしています。もちろん、ずっと前から自分勝手にしてきましたから、何を今さらの感もないのですが、信条としてそう決めたのです。具体的には、他人へのお節介はしない、自分の都合だけで動く、頼まれもしないことはやらない、などなど、今までもほぼそのように暮らしてきたので、他人から見れば何の変化もないようにも思えますが、何事も自己中心に考え動くことを本分として暮らす生活を確立すべく決意したのでした。
もともと私は変わり者と世間からは思われていましたし、献身とか博愛などという言葉とは無縁でしたので、自分勝手を信条とするからと言って特別の努力は必要ありません。今までどおりにぶれずに居ればそれで良いのです。なんせその昔ある人に“・・と地頭には勝てないな”言わしめたほどの経験を持つ私ですから、きっと我儘で自分勝手な奴と、余所様からは思われていたことでしょう。結婚式だろうが葬式だろうが服装やしきたりは殆ど無視しましたし、他人から変人呼ばわりされることを誇りのように思っていました。ある時期には、“こりゃちょっとマズイか”と路線変更したときもあったのですが、土台が付け焼刃ですから、すぐにメッキが剥げてしまいました。それでも、人が嫌がることや意地悪のようなことだけは極力避けてきたので、この最低限のことを守ってきたからかどうかは分かりませんが、周囲から爪はじきされずに社会生活を送ることは出来ました。
北朝鮮が核実験やロケット打ち上げると、アメリカやそれに追随する国々が騒ぎ立てます。イランがやっても同じです。北朝鮮(正しくは朝鮮民主主義人民共和国、何が民主主義で何が人民なのか理解に苦しみますが)もアメリカも私にとってみれば同じ穴のムジナで、自分は散々ドンパチやっておいて他人がやるのはダメという、アメリカの全く持って身勝手な論理は常識では通用しないはずなのですが、どうも国際社会という世界では違うようなのです。「人民」がやせ細っている国の代表とは思えないほど、豊かにふくよかな体格の主の肩を持つつもりはありませんが、どちらも、どう考えても自分勝手というか身勝手というか、私と変わらないレベルで、すこぶる意を強くしております。

 
 くっくっく・・・自分勝手だって 何をいまさら・・