運のつき

「運のつき」という言葉があります。運に見放されたときに“あーいよいよ運のつきか”などと使われます。「つき」は「尽きる」の略でしょうから、「運のつき」は「運が無くなってしまった」ということになります。「運」というのは、これはほんとのところ良く分からない言葉なのですが、「巡りあわせ」とでも言いますか、広辞苑では「めぐること、はこぶこと」などと書いてあります。また「めぐってくる吉凶の現象。幸、不幸、世の中の動きなどを支配する、人知、人力の及ばないなりゆき、まわりあわせ」などの説明があります。
私はこのところ、と言っても去年はということですが、くじ運に恵まれ、と言っても宝くじに当たったとか何かの懸賞に当選したとかという大当たりではなく、ひそやかに近所の商店街の福引で1等が当たり5千円の金券、ただし商店街でしか使えない金券が当たった程度のくじ運に恵まれました。あとはこれも近所の生協で、時々にやるしょぼいくじ引きで4等、まれに3等などが当たり、どちらかというとくじ運の悪い人生を送ってきたと常々思い悩んできた、その悩みを吹っ切るかのような(そんな大げさではないことですが)年でした。ところが、今年は年始早々の福引で全部スカ、年賀状(これも数枚しか来ませんでしたが)のお年玉もみんな外れ、それと「無印」の福袋も落選してしまい、もうこれは天に見放された、運が尽きたと嘆き悲しむ日々を送っている今日この頃なのです。
私と同じように、運に見放されたらしいのが民主党で、去年の選挙以来、支持率は下がり続け、結党以来の最低水準を彷徨っていると言います。その反面、選挙で大勝した自民党はわが世の春で、円安にはなるわ、株価は上がるわと、このところ益々調子づき、自衛隊法を変えるとか、小中学校の土曜日授業再開やら、そのうち憲法改変、9条破棄などと言いだしそうな気配です。運に見放された民主党は、鳴かず飛ばずの無音状態で、ただボーと指をくわえて見ているだけの有様ですから、これから今以上に自民党は調子づくこと間違いなしのようです。
それはそうと、私の運はもう残っていないのでしょうか。まだ使い切ってない気もするのですが、神様、教えてください。え? 信じてもいない神にそんなこと聞くのかって、それは困った時の神頼みというか、まあ、勝手な都合のみで動く私ですから。

 
 私の運は尽きることはない