吉本隆明の「宮沢賢治の世界」

昨年亡くなった吉本隆明が、30数年にわたって講演してきたテーマが宮沢賢治であったとは知りませんでしたし、編集後記にもあるように、吉本が若いころよりその作品に親しみ、唯一批判しない作家であったとも知って、少し驚きました。
図書館から借りてきた「宮沢賢治の世界」はどうやら終わりになりそうです。そんなに厚い本ではないのですが、私の知らない宮沢賢治の作品がいっぱい出てきて、おまけに吉本大先生のご高説なので、ややてこずりました。私の宮沢賢治に対する関心は、あの不思議な童話の世界がどのような背景で書かれたのか、この一点に尽きるのです。この「宮沢賢治の世界」では、その疑問が氷解したわけではありません。けれど、熱心な法華経の信奉者であった賢治の、その理想とする世界が童話の世界となって表現されていく、おおよその過程は何となく分かりました。この本の中で繰り返し語られるいくつかの童話のうち、「銀河鉄道の夜」は馴染のある作品ですが、他の童話はほとんど読んでいないものばかりで、この辺りもてこずった原因かとも思っています。
透明感があって、あまり説教臭くない(本当は説教の要素が濃い?)賢治の童話は、動物が頻繁に登場する、それもヒトと対等な関係を保ちつつ、なおかつ距離をもっているという、不思議な雰囲気を持った作品が多いのです。なぜあのような世界が描けるのか、ずっと疑問に思っていました。仏教的倫理観にもとづいた生き物に対する認識が、法華経の持っていると言われる比喩的話し方が、その背景にあったようです。また、有名な詩集「春と修羅」は、それまでの詩とは異なる特異のリズムと、自然と自分との関わり、その心象をスケッチするという手法を追求したものらしいのですが、これもまた深くは読んだことがなく、洞察力の鋭い吉本の解説がいま一つピンと来ないもどかしさを、抱えながら読んでいました。
結局のところ、私自身が宮沢賢治をあまりに読んでなくて、吉本の講演内容の半分以上についていけないことだけが印象として残りました。これからどれだけ宮沢賢治を読む機会があるのか、ちょっと分かりませんが、まだ読んでいない童話のいくつかは手に取ってみようと思います。そういえば、高校時代に宮沢賢治の全集まで買い込んだ友人が居ました。彼なら吉本の話がもっと理解出来たろうと、懐かしく想い出しました。
 
 賢治の童話には 私の仲間も出てくる