政治家−来たる諸々の選挙に向けての考察 その2

利己的な遺伝子」という本を読んだ方はすでにご案内のように、生物は自分勝手に生きることを基本としているのですから、他人の為とか自分の利益と関係ないことには興味を示さないはずなのです。もちろんある種の動物では、群れの安全を図るために天敵の襲来を報せたり、子供を守るために囮となったりする行動が見られます。いわゆる自己犠牲と言われる行動ですが、これも究極的には遺伝子の温存という利己的な行動に裏打ちされたものであるとされています。ヒトも“群れ”となって生活する動物ですから、“群れの安全”は自分の利益(これが本音)にもつながる訳で、そのための努力をすることが美徳とされる環境が形作られてきたのでしょう。そういった遺伝的な要因が、“社会のため”とか“万人のために”などいう歯の浮くようなお為ごかしを、政治家をして言わしめるのかも知れません。
動機はどうあれ、結果としてその行為が社会や他人様のためになるのなら、それはそれで結構なことではあります。しかし本音を全く隠して、あるいは知らん顔で綺麗ごとだけを言うのは、一歩間違えば詐欺師と同じであり、あまり褒められた行動とは言えないでしょう。今活動している政治家たちは、この辺りのことをどのように思っているのか聞いてみたいのですが、身近にそのような人物は居ないので実現はしません。とにもかくにも政治家の方々は、“滅私奉公、世のため人のため”に日夜奮闘なさっているご様子で、その割にはちっとも世の中よくならず、だから世の中の人々は政治家の言うことは信用せず、だからと言って自分から政治の世界に関わることはしないから、ますます政治家との乖離は進む訳で、どツボにはまって出口の見えない毎日を送る羽目となっています。
まだ続く

よく眠れる