政治家−来たる諸々の選挙に向けての考察 その1

つらつら思うのですが、いわゆる政治家という人たちは何のために、何をしたくてあのような世界に身を置いているのか、今一つ理解できません。
「世のため人のため」という言葉はあまりに使い古されて、すでにすっかりと色を失っていますし、あからさまな利権や損得勘定では有権者の支持が集めきれないと思われます。個人的な欲望や思いの実現を図ろうとしても、周囲との関係がありなかなか思い通りにはならないでしょう。単に就職先として考えれば、安定性はともかく、それなりの収入と体面が保障されますから、場合によっては良い職業とも思えます。しかし、世間の目やら選挙での再選を常に意識しなくてはならず、のんびり優雅に生活するということは出来そうにありません。地方議員、とくに田舎の町や市の議員は“楽勝”のようにも見受けられますが、いつも無投票で選出されない限り、やはり選挙のたびにはかなりのストレスを覚悟しなければならないでしょう。行政の首長は総理から村長まで、それなりの権限と判断を執行できる立場にあるようですが、議会という化け物の相手をしなくてはならず、決して気楽に毎日を送るという訳にはいかないと思えるのです。そしてプライバシーがかなり制限されるというおまけがつきますから、これも人によっては耐え難いものでもあるとも言えます。
封建領主や絶対君主になりたいという欲望は、自分の栄耀栄華を実現するためというはっきりした目的があります。「酒池肉林」の生活や「城」に住むという望みに向かって邁進する、命を懸ける訳です(私だったら・・、たぶん)。その後時代が下り「議会」なるものが出現すると、経済的に成功した有産階級や地主などが政治に手を出し始めます。“旦那衆の道楽"とも言われた時代もあります。もちろん並行して利権と蓄財のために政治に関わる者も多くいたでしょう。そして社会を変革するために政治家となる者が出てくるのです。この辺りから“万人のために”とか“社会のために”などというスローガンが出てきて、政治が分かりづらくなってきます。
 
 また眠くなるのね