都市計画

何気なし地図を見ていたら、東西南北に綺麗に区画された“街並み”出てきた。“へー この国にもきちんと計画された町があるんだ”と感心していたら、よく見ると多磨霊園だった。
グーグルアースで日本の街を見ると、道が複雑に入り組み狭く、直線道路や南北道路の少ないことに気が付く。また、いわゆる幹線道路と呼ばれる道が曲がりくねり、そこを目がけて細い道が無数に接続されている。自然の川や血管に似た構造と言えば聞こえは良いけど、無政府的に場当たり的に町が出来た痕跡を示すものでしかない。ものの例えで“蜘蛛の巣のような”と言えば乱雑でコンガラかった状態を指すが、実際の蜘蛛の巣は整然とした計画の下に作られた秩序正しい構造物で、“獣のような・・”という慣用句同様に実態とは正反対の例えようなのである。自然は究極の合理性の下に構造物を構築するけど、ヒトは似て非なるものをつくる。意識しないと合理性は生まれない。
都市をつくることは文明をつくることでもある。だから、街を見ればその都市の文明の水準が分かることになり、その都市の知的水準が暴露されてしまう。古今東西の為政者たちは、堅固で外敵に強い都市をつくることに精魂を傾けた。また、経済や流通を盛んにして富を得るために効率の良い都市をつくることに腐心した。その結果としてローマや長安がつくられた。古代人の知恵は今の私たちの国の知恵を、はるかに凌ぐレベルであったようだ。
地震や風水害という自然の脅威に対する有効な手段は、都市を計画的につくることが基本と言われる。近年問題となっている“ヒートアイランド”にも風の通り道を考えた都市づくりが有効とされる。自然に学び自然の力を利用することが、自然の脅威に対抗する最良の手段とも言えるのだろう。ヒトが自然を人為的に改造する最たるものが都市だが、自然に沿った都市計画が快適で安全な都市をつくるとすれば、“風水”とか“方角”と言うのもあながち無視できない要素かも知れない。残念だが私たちの街には風水も方角もそして都市計画も考慮されていない。
 
  アー そうだね