絵画の中のヌード

ヨーロッパの絵画芸術にはヌードがよく登場します。絵画だけでなくロダンなどの彫刻家たちも裸像を扱いますが、絵画では宗教画にさえヌードが登場します。一説によると、あれは今でいうポルノグラフィーで、寝室に掛けたり個人的に楽しむためのものだったとも言われます。洋画を学ぶものは必ずヌードを描くメソードがあります。生身のモデルを使ったり石膏像であったりしますが、かなりの時間をヌードに割きます。理由としては、対象の動きを的確に表現する力を養う、オブジェとしての面白さ、表現力の追及などいろいろの理屈付けがされています。その結果どうか知りませんが、現在に至るまでヌードは絵画の一大テーマとなっています。
絵画の中にあらわれるヌードの最大の特徴は、女性がそれも若い女性が圧倒的であることです。先ほどあげた彫刻家ロダンは、力強い男性のヌード作品を多く作成していますが、絵画では何と言っても女性が主流です。このあたりがポルノではないかという根拠となっているらしいのですが、これも一説によれば、豊穣や多産を象徴とした女神信仰にその源があるとも言われていますから、なにも“スケベ心だけが突出している”との批判は当たらないかも知れません。こういった“スケベ心”などという低レベルの疑問ではなく、「象徴としての女性像/若桑 みどり著」というかなり固い内容の本が出版されています。“ジェンダー史から見た家父長制社会における女性像”と言った副題からもわかるように、絵画上に表現されている女性像とその背景にスポットを当てた興味深い内容のものです。ただこの本は私のそもそもの疑問である“なぜ西洋絵画はヌードを描いてきたか”という問いに直接答えるものではないようです。しかし女性のヌードが描かれてきた歴史的背景の一つである、母権制後の家父長制の台頭、その後のキリスト教家庭観や女性の位置づけなどを通して、社会的・文化的な性の観点から絵画上にあらわれた女性像に迫る内容となっています。西洋絵画の中になぜあのように繰り返し女性のヌードが描かれてきたのかを知る一助にはなりました。
日本画では春画以外めったにヌードを見ることがありません。このあたりのこともだれか調べて書いてくれると有難いのですが、西洋的キリスト教社会と東洋的儒教社会との比較文化論などでやられると頭が痛くなってしまいそうで、仮に本となっても手が出しづらいことではあります。
 
 私は決してヌードにはなりません。