ガラクタ

ヒトはガラクタに囲まれていないと落ち着かないようです。大金持ちは言うに及ばず、段ボールハウスの住人だっていろいろなガラクタに囲まれています。もちろん私もご同様で、狭い家が一層狭くなる余計なものの溢れた暮らしをしております。いつかは整理してすっきりと、簡素で物に縛られない暮らしをと思ってはいますが、一向に実現しそうにありません。
江戸時代の暮らしを垣間見ることが出来る「江戸博物館」に行くと、あの当時の庶民たちがいかに“シンプルライフ”であったか良く分かります。おそらく必要に迫られてのものであったと思いますが、布団と食事道具、冬物、夏物の衣類が数枚で全財産という人がほとんどあったと言われています。それに比べると武士階級、中でも上級の武士は禄高に応じた格式を備えなければならず、日常の生活に事欠いたとしても分相応の見栄を張る必要があったようです。家や物に縛られない生活が一つの理想の形とすると、江戸の庶民はそれを手に入れていたということになるでしょう。
方丈記」や「森の生活」の作者は、思想の表現として身の回りのガラクタを切り捨て、簡素な生活を目指しました。こういった思想は文化の発達とともに東洋でも西洋でも同じように興っています。特徴的なことに、こういった簡素な暮らしを思想として実践する人たちは、いわゆる「組織」とは一線を画す人たちであることです。武士も貴族も王家でも、現在では会社や企業に属する人たちも、みんな「組織」と共にある、組織なくして存在しえない人たちです。これらの人たちの属する組織は、そうした思想とは相いれないのです。ヒトは大なり小なり組織と関わって生きてきました。ガラクタはそういった組織の名残のもののようでもあるかも知れません。ガラクタを身の回りに置かなければならない「組織」とは一体何なのか、ガラクタを見ながら考えています。
  
 見よこのバランス感覚 ガラクタとは無縁