言葉を遊ぶ

「言葉を遊ぶ」などと言うと、なにか意味のない言辞を弄し人を欺くような時に使われることが多いのですが、文字通り言葉を自由に使って「遊ぶ」、言ってみればゲームのような感覚で言葉そのものの意味や、言葉からの連想を楽しむ、そんな文化を私達は持っています。和歌や俳句はその代表的なものですが、“さよなら三角 また来て四角”などと子供の頃に使った語呂合わせのような言葉遊びは、リズミカルな面白さを自然と身につけていたように思います。「韻を踏む」といった言葉の使い方は、「マザーグース」などにも見られますから、きっと世界中で行われた言葉遊びの一つなのでしょう。
いろは歌」は作者不詳と言われていますが、言葉遊びの傑作のひとつです。それに引きかえ「あいうえお50音」は味もそっけもない音(おん)の羅列で、きっと私達の耳の感覚が古代の人達より劣ってきたことの証明であろうと思います。今年から小学校で英語を教えることになったようです。朝礼で教師が、「グッド・モーニング」とやっているのを聞いていると、この国の未来にも希望が湧いてくる思いが、音を立てて崩れる実感に充たされます。母国語というその土地固有の言語が、数千年にわたって築き上げてきた遺産を、洗いざらいどぶに投げ捨てるに等しい“革新的”な行いと目を瞠るばかりです(そんな大げさなことじゃないかも知れませんが、まあこの駄文も言葉の遊びですから)。
和歌や俳句のひねりというか遊びで、狂歌、川柳というのがあります。江戸時代に独自の文化として発達しました。“本歌取り”“からかい”などを駆使して、正に言葉の遊びを追求した知的娯楽であったのです。今でも「サラリーマン川柳」などといって毎年のように多く人が愉しんでいます。出来の善し悪しは別にしても、言葉を遊ぶ伝統は息づいているようです。福島原発事故に関する国会事故調査委員会は、今回の事故を「人災」であると断定した報告書を提出しました。様々な予防措置があったにも関わらず、それらを無視あるいは放置してきた責任を東電と政府に突きつけています。ひねったり遊んだりせずに率直に表現することも、また言葉の大切な使用方法であることが分かります。
 
 正しい姿勢も大事