世論

世間の意見、一般的な議論などというものになるのでしょうか、世論とは。人の噂も七十五日など申しますが、噂同様に世論も当てにならない、などと言うと独善的だ、自分を何様と思っているのか、といった反論が投げつけられます。
 でもねえ、NHKの世論調査石原都知事がやろうとしている尖閣諸島の都有地化計画に、60%(全国調査)を超える賛意があり、寄付金も五億円近く集まっているなどと聞くと、“何考えてんだろうねえ”と思いたくなります。いえ、どうせ私なんぞは少数派で、何を言っても犬の遠吠え、有難い世論の片隅にも置いて頂けない日蔭者の意見ですから屁みたいなものですが、それにしても関西の橋下大阪市長ともども石原都知事の言動および行動は、目に余る、聴くに堪えない、アナクロ丸出し、そして民主主義無視なのです。しかしあなた、その民主主義の担い手たる国民、世論が言いだしっぺの二人を担ぎあげるという、何とも自虐的なことが起きているのが可笑しな現実なのです。
 昨日は5.15沖縄デーだったのでした。過去形になってしまった沖縄デーですが、あの沖縄返還交渉の折にも、密約やら何やらが蠢きそれを暴露しようとした新聞記者が、政府と“世論”によって“世間”から抹殺されました。今頃になってやっと記者が書いていたことが事実で、政府が国民を欺いていたことが明らかになって来ましたが、世間から抹殺された記者の時間は戻りません。沖縄が戦後一貫して“米軍基地の中”に置かれ続けるという過酷な現実に対しても、この国の“世論”は無関心を装ってきました。“装おう”ではなく本当に無関心であったと言った方が正確かもしれません。別な言い方をすれば、世論は沖縄の置かれている現状を、暗黙の了承のうえに放置してきたのです。それは今も続いていると思えます。“世論なんぞ当てにならねえ”とまでは言いたくありませんが、そう思う気持ちは捨てきれません。
 孔子マキャベリは庶民を見下しています。あれって一面真理なんですよね、支配者としてはあのように考えないと統治など出来ないでしょう。でもって支配される方も、その枠組みの中に入って安定したいという意識があるので、ピラミッド式の身分階層が生まれて、“主従”などという訳の分からない関係が横行するのです。そういった中で形成される世論などは、独立した人格に依らない烏合の意思とでも言うしかない、なんて思っちゃうのですよ、“尖閣”の世論調査などを聞かされると、ほんとのところ・・・。
 
 ただ意味もなく 肉丘