万年筆

 今ではあまり見かけなくなった文具です。私の子供の頃は憧れのアイテムの一つで、パーカーとかペリカンの万年筆をさり気なく使ってみることを夢想したものです。ボールペンと違い万年筆は筆圧をかけずに字を書くことが出来ます。長時間使っていて手首が痛くなるようなことにはなりません。その代り慣れないとペン先が滑ってしまうので、そうでなくとも悪筆の私などは見るに堪えない字が並ぶ羽目となります。しかし慣れてくれば筆圧の強弱が字の味となるので(上手な人は)、毛筆に匹敵するようなものさえ書くことが出来ます。万年筆という名の由来です。
 私は今でも万年筆を使っています。と言っても手帳にメモを書く程度にしか使わないので“使っている“と言えるほどの使用頻度ではありません。2本ある万年筆は、インク補充がカートリッジ式のものとポンプ式で、ポンプ式はすでに壊れていて、つけペンのようにしか使えません。それでも捨てられずに持っています。カートリッジは1本単価が80円ぐらいして、かなり割高なインクとなります。このカートリッジ式のペンも、最近インク漏れをするようになってしまい、結局のところ万年筆は2本とも壊れたも同然の状態となっているのです。きっと修理にはかなり費用がかかるだろうし、大体何処で修理してくれるのか、銀座の伊東屋あたりまで持っていかないと駄目かも知れず、すでに過去のものとなった道具を使うのはそれなりの覚悟が必要と、今さらながら思っています。
 私は物が捨てられない、“断捨離”が出来ない性格であると前にも書いたことがあります。この万年筆をとってもそのことがよく出ています。半ば壊れても、ロクに使わなくても捨てられない、何につけても未練がましい性質(たち)なのです。持って生まれついた貧乏性とでも言うべきものなのでしょう。身辺整理を心がける時もそんな遠くないと思えば、考えなければならない課題でもあるのです。
  
私は古くないけど 扱いは覚悟してね