旧市街

 昔は良かった、などと言うつもりはありません。「昭和」は元気だったなどと言う人がいますが、戦後の混乱期からやっと抜け出し、なりふり構わず経済成長を目指していた時期だったから活気があっただけです。おかげでマイナスの負債もたくさん作ってしまい、今その対応に苦慮しているのです。そのマイナスの負債の中に都市計画があります。
 この国の街並みは先進国と言われるヨーロッパのそれと比較すると貧弱で雑然としていると言われます。私は現地を知りませんから映像や写真でしか判断できませんが、同様に思っています。それはきっと明治以後に急速に西欧化し、生活も習慣さえも大きく変わったこの国の歴史的な環境が、統一感のない街並みを生み出してきたと思われるのです。その土地、風土によって作られた街並みは、落ち着いた雰囲気を醸し出す(と思っています)絶対条件です。アジア諸国が混とんだとかカオス的と言われる原因の一つに、街並みの不統一感があると思っています。それは欧米の文明を受け入れざるを得ない所謂“発展途上国”の宿命でもあったのでしょう。ヨーロッパの紀行番組などをTVで見ると、必ず旧市街が出てきます。この旧市街と言うのは意識的に保存されていたり、また復活されていたりして歴史的な時間を感じさせる区域となっています。そして旧市街を核にして街が形成されてゆくことが、彼の地では当たり前のように行われているようです。生活や価値感覚が連綿と続いている、そういった落ち着きが街を形づくっているとも言えます。
 この国にも歴史的町並みを保存している地区があります。木曽の馬籠、岐阜の白川郷などですが、生活の中に生きている旧市街といったものはほとんどありません。京都の一部に残されている町屋形式の住居などが辛うじてそれに当たるかも知れません。百年前の街並みが残っていればそれだけで観光資源となると言われますが、旧市街という区域はその土地のアイデンティティーでもあり、精神的よりどころでもあると思います。残念ながらこの国の旧市街は木と紙で出来ていたという物理的条件と、明治以後の無教養官僚のおかげですっかり姿を消しました。戦後の混乱期以後は更に一層の拍車をかけたスクラップアンドビルドが行われ現在至っています。生活様式が一変した今、江戸の街並みを復活したところで現実的ではないでしょう。しかし室町から江戸に続く都市の形の中に、例えば住み分け、商業地区や居住区、武家屋敷などの区域分割は都市構造上の基本とも言えますし、江戸の長屋、裏店は集合住宅の原型とも考えられるものですから、これらを参考にしてこの国の文化を基にした都市設計が可能ではないかと思えるのです。この国の気候風土を踏まえた都市を百年後には旧市街として残したいと思うのですが・・・。しかし乱立した電柱やバラック造りの住宅が立ち並ぶ街並みを見る限り、この思いは叶いそうにありません。

    
    臼歯が居ねえ、あ!旧市街ね・・・。私のこの家もだいぶ傷んできたけど・・。