時代錯誤な踏み絵

 まず私ごとですが、私は御案内のようにやや左がかった志向の持ち主であり、当然考え方もやや左にぶれていると自覚しております。これを踏まえて申し上げます。
 最高裁で東京都が行った「君が代」斉唱時に起立しない教師に対する処分の是非を問う判決が出されました。内容は都の処分に対し一定の歯止めをかけるものとなってはいますが、原告側には依然として厳しい判決となっています。
大阪府ではこの問題で斉唱時の起立を条例化することとし、違反者には免職を含む厳罰で臨む方針を表明していました。この判決を受けて府は急きょ方針の手直しを計るようですが、厳罰を前提とした処分を改めるつもりはなく、最高裁でさえ“ちょっとやり過ぎだよ”と言った判断を棚上げしようとしています。橋下大阪市長を中心とする「大阪維新の会」が何を目論んでいるのか、正直なところ分かりません。しかしあまりに強引で一方的手法にはうんざりします。「君が代」をなんとしても広めたいからという熱心な動機があるとも思えませんし、解雇権まで乱用して一体何がしたいのか理解に苦しみます。おそらく橋下市長個人は、他人を自分の言うことに服従させたい、全面的に支配したいという権力者意識に凝り固まった発想が根幹に有るのでしょう。裏返せば、それほどまで他の人に対して不信感を持っているか、他の人を病的に恐れている証のどちらかとも思われるのです。江戸時代に幕府がキリシタンを恐れ取り締まるために「踏み絵」という手法を編み出したのは有名ですが、「君が代起立」問題はまさに現代の踏み絵であり、時代錯誤の思想弾圧とも言えるものであるでしょう。
 大阪という都市が、室町時代以降から「堺衆の街」と言われる市民的で自由な伝統を造り上げてきたことは歴史が教えるところですが、そういった伝統を今の大阪府、市民はどの様に捉えているのでしょう。先人の嘆く声が聞こえる気がします。

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