懺悔

 よく映画などで見かけるシーンで、教会内の隅に小部屋があって、そのなかに入り自分のしてきた悪事を告白する、と言うのがあります。「守秘義務」と言うかどうか知りませんが、その告白を聞いた神父(牧師?)はそれを他人には漏らさず、たとえ犯罪に関わることであってもチクったりしないのが建前なのです。本当にそんなことが守れられているのか、その辺りのことは良く分かりませんが、あれはなかなか便利なものと思うことがあります。
 ヒトは悪事と言えないまでもモロモロのロクでもないことをしでかすものですから、それらを一気に吐き出して楽になりたいと思うことは一度ならずあるものです。しかしやたらあちこちでぶちまける訳にもいかず、精神科医のカウンセリング料は高いし、そんな時にはあの懺悔と言う儀式は大変利用価値が高いと思えるのです。映画「ゴットファーザー パート3」で、アル・パッチーノがバチカンの偉い坊さんにこの懺悔をするシーンがありました。「兄を殺しました・・・」から始まり悪事の告白をするのですが、偉い坊さんは「赦します、祈りなさい・・」などと言ってその罪をみんな赦しちゃうのです。外の映画でもやはり同じように、懺悔すると過去の行為はすべて水に流してくれるシーンがよく有ります。刑事上の罰とか民法上の責任から逃れられることは無いのでしょうが、気分的に楽になって“これでスッキリした・・・”となるようですから、ああいったシステムが身近にあるのは心強いことであると思ったりもするのです。クリスチャンになればそういった恩恵を受けることも可能でしょうが、無神論の私には残念ながら無理な相談です。
 “なんだ そんなに懺悔するようなことがあるのか”と言われそうですが、実のところ懺悔するほどのことが出来るくらいなら、もっと面白おかしく暮らせたと後悔するのが関の山で、どうも小人は「沈香も焚かず 屁もひらず」の域でしかないようなのです。

懺悔? いえいえ顔を洗っているのよ。私は懺悔などしないから。