ハロウィーン

 私は老人になる楽しみの一つに、ステッキと帽子があると思っています。背筋をぴんと伸ばして、洒落た帽子と少し高級なステッキを粋に使いこなすには、それ相当のお金と年齢が必要であると常々考えていたからなのです。年齢は万人平等にやって来ますが、お金は必ずしも平等ではありませんから、やや努力あるいは無理をする必要があるでしょう。しかし老人にとってステッキは護身用の武器にもなりますし、おやじ狩りや不届きな若者に対抗できる手段ともなりますから、少々の出費はこの際必要経費と言えるでしょう。帽子ははげ隠しや日射し、寒さから頭を守ってくれる強い味方です。
 けれども私達の国の文化では杖が必ずしもスマートではありません。曰く“年寄り臭い”とされてしまいます。言ってみれば“杖”と“ステッキ”が混同されている文化なのです。ステッキはあくまで身だしなみ、お洒落のアイテムであるのです。それに対して杖は頼るもの、補完するものと言えるでしょう。ステッキとシルクハットは怪盗ルパンのトレードマークでもあるようにスマートなものなのです。“それなら何も老人にならずともステッキを使えばよいだろうに”と思われるでしょうが、そこは伝統の無い悲しさ、若輩がステッキなど持とうものなら、無粋で頭の悪い警官に呼び止められるは必定、痛くもない腹を探られ不愉快な思いをすること請け合いなのです。しかし老人ともなれば大手をふるいステッキを持ち歩くことが可能な訳で、無粋で頭の悪い警官、あ!これ前にも言いましたね、つい口に出ちゃうのですよ根に有るものだから、気にしないでください。とにかくそんな訳で老人になる楽しみであり愉しみの一つがステッキとなるのです。帽子はこの頃ではあちこちで店も増えてきたのでどうにかなるのですが、ステッキとなるとまだごくごく少数な店舗しかなく、しかも老人用の“杖”が主な取り扱いになるようで、思うような洒落たものが手に入ることはかなり困難なようです。銀座辺りに店があったようにも記憶していますが、今もあるのでしょうか。死んだ加藤 和彦あたりだとすぐにヨーロッパにでも行って買ってくるのでしょうが、私にはそれだけの器量もお金もないので無理なことです。
 なんだよ、ハロウィンと全く関係ない話ではないかとお思いの皆さま、老人がステッキを片手に帽子などかぶり街を歩くのは、今のこの国では仮装と思われるのが関の山なのです。それでまあハロウィーンにかこつけてそんな恰好もしてみたいと、ハロウィーンの日ぐらいは好きな格好をしてみたらと思ったのでした。

ハロウィーンには黒い衣装が良く似合う。