椅子、部屋、街、文化

 いつの頃からか私の生活の中に椅子は欠かせないものとなっています。畳の上に直に座るということが殆どなくなりました。そもそも畳が縁遠いものとなっています。仕事の関係で新築住宅を見る機会が多かった時分に、「どうしても畳の部屋が欲しくて・・・」という施主の言葉を幾度となく聞きました。襖、障子、畳は和室の三要素です。多くの新築住宅には申し訳程度に和室が作られていますが、三要素がそろい踏みになることは少なくなりなりました。たしかに何も置いていない和室の表情は、一種の気品を感じさせます。しかし生活するとなると壁際には物が置かれ、畳の持つリズムは壊れるので気品も何も無くなってしまいます。洋間はもともと壁や床を絵や絨毯で飾ることを前提に作られていますし、椅子やテーブルを置くことで部屋のバランスが取れます。何にも無い洋間は空き家同然なのです。物を置くことで成立する部屋、物を置かないことを前提とする部屋、これは必然と空間の広さに関わって来ます。西洋とこの国とでは部屋一つとっても文化の違いが歴然としています。そんな文化の違いをものともせず私達は暮らしていますが、そこには無理が付きまといます。
 最初にも書きましたが、椅子のない生活は今では考えられません。食事をするにも休むのにも、本を読んだりものを書いたりするにも椅子は欠かせません。しかし、部屋にはものを置かない文化、使わない時は押し入れという収納に入れてしまう文化では、椅子という異文化にさく空間が決定的に少ないのです。にも拘らず椅子の誘惑には勝てず、狭い空間をますます狭くすることになるのです。ちょうどこの論理は街の構造にも当てはまります。私達日本人の自動車好きは世界でも冠たるものですが、つい100年ほど前までは「車」と名のつく乗り物は私達庶民とは無縁の代物でした。欧米で一般に馬車が広く多用されていたことと大きく異なります。当然のこととして街はこれらの事情を前提に作られており、したがって私達の街は徒歩を基準に道は狭く曲がりくねり、時として行き止まり、玄関先まで道路が通って当たり前の都市構造が出来上がっています。そこへここ数十年の間に自動車が津波のように押し寄せ溢れだしたのです。軒先だろうと玄関先だろうと道があれば車は入って来ます。騒音、振動、排気ガスが部屋の中まで侵入してきても、車の魅力に抵抗できないのです。この辺りも椅子とよく似ています。
 私は椅子も車も好きなので、あわよくば共存していきたいと思っているのですが、家の中はどうにか出来ても街をどうにかする訳にはいきません。文化を変える良い手立ては無いものでしょうか。無いでしょうねえ。

私も椅子は好きよ、車は嫌いだけど。