昨日の続き

 「一週間」を読んで思うのですが、いつの世も“偉い”人達は自己保身に長けているようです。シベリアの収容所で起きたことが今度の原発事故でも繰り返されました。福島第一原発で起きた事故当初の対応でも、真っ先に避難をしたのは現地幹部職員だったと聞いています。東電本社社長はじめ幹部職員も現地に飛ぶなどという行動とは無縁で、ある副社長などは宴会に出席していたと言いますから、その姿勢たるや極寒のシベリアの収容所でぬくぬくしていた関東軍参謀達と同レベルです。東電社長はその後退職、しっかり退職金を手にして悠々自適の毎日のことと思われます。
 ことは政治の世界も同じで、今まさに「復興増税」とやらで国会論議がされていますが、肝心の予算委員会での論議は個人攻撃と的外れな質問が多く、増税するならまず議員定数の削減や歳費カットを提案した上での議論をすべきであろうと思います。また非課税法人の見直しや天下り法人の改廃も手付かずです。歳出や歳入の洗い直しをせずに増税ありきでは納得できるものではありません。八ツ場ダムなどは直ちに中止にすれば良いのです。国会や政府自らが経費を削減しその上で歳入に不足が出れば考える、「櫂より始めよ」は掛け声だけではないのです。自分達は出来るだけ手を汚さない、痛みを避けるでは選良の名が廃ります。
 本来あってはならない、国際法に反する収容、強制労働を伴ったシベリア抑留が、戦後の当事者政府間の、言いかえれば指導者達のご都合によって起された疑いがあると言う事実を、私達は未だ放置し続けています。1945年までの日本帝国政府がどんな政府であったのか、国民に対して何をしたのか、しなかったのか。指導者、支配層、“偉い“人たちがどのような行動をしたのか、それらに一般人はどう対応したのか。一度じっくりと考える必要がありそうです。そうしないといつまでも同じことの繰り返しを避けられません。

私は高みの見物。