震災訓練の愚

 今年も9月1日防災の日には東京の各地で防災訓練なる行事が行われ、意味があるのか無いのか、実際に役立つのか役立たないのか不明な訓練が仰々しく執り行われた。そのひとつに公務員や政府担当者の参集訓練というのがある。主に徒歩を利用したりして目的の場所に向かう訓練だ。実際の震災が起これば、徒歩で目的地に向かうことなどせずに、車やそれがだめなら自転車を使うなどして機動性や迅速性を重んずることとなるだろう。江戸時代じゃあるまいし徒歩(かち)で駆けつけるなどは机上の議論でしかない。
 特に今年は警視庁が都内の主要道路の一時封鎖と、環状線内からの都心部進入規制の訓練をやった。これも机上の想定の最たるもので。大体からして震災が起きたら道路はマヒ状態となるは必定で、そうなれば警察車両も含め緊急車両そのものの移動が難しくなってしまう。そんな時に規制が出来ると思っているとしたら、お目出度いのを通り越して間抜けの与太郎である。日常的に緊急車両レーンを確保する交通規制を実施していなければ、いざという時に機能しないことは、3・11や神戸での経験で明らかなはずだ。とにかくこの手の机上の想定、言いかえれば現実的でない自分の都合に合わせた為にする訓練はあまり効果を期待できるとは思われない。よくやられる消火訓練などで、復唱とか大声で叫びながら行動する訓練同様に実際的でない。火が出たらまず消すことに集中するのが一番と思う。どうも形から入る訓練が多すぎる。
 また、災害訓練と言うと必ず作業服に着替えるエライさんや取り巻き達もどうにかしたほうがよろしい。やはりこれも形から入る類のもので、下ろしたて作業服はプレス皺の入ったパジャマを着て演技する三流俳優同様に、見ていて嘘くさいこと甚だしい。ああいう人達は自らが震災に遭遇した時も着替えるのだろうか。そんな余裕はないだろうし、常識のある者のやることとは思えない。

震災訓練 シェルターに入る。