往生際

 私は往生際の悪い方で、諦めが悪いというか、決断力に欠けるというか何時までもぐずぐず結論を引っ張る癖があります。具体的な物言いは差し控えますがそんなところがあるのです。往生際という点ではもう一人話題の方がいますが、あの方などはひょっとすると往生際を逆手に取った作戦だったかも知れず、今の段階では結論を出せないとも言えるでしょう。往生際が悪い半面、飽きっぽいという性格もあり、投げやりというのも絡んでいる私の場合は、始末の悪い性癖となるのでしょう。往生際を逆手に取るなどという高等技術はとても持ち合わせていません。
 と、ここまで書けば「世の中には豪快な往生際の良い人も居て・・・」と繋げたくなるのですが、残念なことに私の周りはみんなドングリの背較べ、似たり寄ったりばかりで豪放磊落などという人物にお目にかかったことはありません。たまにはそのような方とお近づきとなり、“よっしゃ 何でも奢ってやろう”などと言われてみたいのですが、そういった次元の低い希望に光明が当たるためしも無く、今日も明日も“ああでもない こうでもない”と愚にもつかないことをこねくり回す日々なのです。ところが昨日書いた定家さんも明月記の中に、自らの昇進のことやあちこちへの不平不満などが書き連ねられ、「定家明月記私抄」の作者堀田 善衛さんから「ほとんど駄々っ子の如きであり、官僚、歌人として自立しているとは申し難い」とまで言われる体たらくの始末なのです。この時定家39歳、中流とは言え公卿の末席に連なろうとする貴族なのです。さっさと昇進など諦めて西行の如く隠遁でもしてしまえばよいものと思いますが、“お前に言われたくない”との罵声が飛んできそうなので飲み込みます。往生際はいつの世も難しい際なようです。

ヒトはみんな往生際が悪いものよ。