敗戦記念日

 世間では終戦記念日という呼ばれ方が一般的です。戦争に負けた記念日などあまり景気の良い話ではないので「終戦」としたのでしょう、この国らしい処し方です。
 この時期になるとマスコミでは決まって特集を組み、戦争を繰り返さないように・・云々・・と紙面や特番を流します。靖国神社への政治家の参拝も、今では年中行事の如く取り扱われています。自分達が起こした戦争を聖戦と位置付け、それを遂行するための軍人専用の社であり、国民を戦争に駆り立てることに一役も二役も関わった靖国神社のことなど一切忘れ去られているようにも思えます。まったく何でもかんでもよく忘れる国民です、私達は。だから津波が来る、地震が来ることさえ忘れてしまうのでしょう。かく言う私も物忘れがひどく、昨年のことなど殆ど覚えていないので今年限りについて言えば、菅内閣の閣僚は靖国への参拝者がゼロだったとの報道がありました。これなどはあらまほしき仕業と思います。少なくとも時の政治の中枢にある方達は、靖国神社が果たしたその役割の重さを認識して行動すべきです。同時に戦争をある意味支え軍部の片棒を担いだ当時の新聞や報道の後継者の人達も、自分たちの先輩が果たした過ちを踏まえた報道の確立を忘れてはならないと思います。ただ特集を組めば良いというものでもないのです。
 戦争が終わって生まれた私は、「戦争を知らないものは半分子供・・・」と言った大岡 昇平の言葉を時々思い起こします。極限状況の中に置かれた経験を持つものとそうでないものとの違いが、何処にあるかはっきりとは理解できません。しかし極限状況に置かれる不幸は理解できます。戦争でなくとも極限はゴロゴロしていそうな昨今、出来れば自分だけは遭遇したくないと勝手なことを考えています。

新しい国旗 猫の丸。