西洋かぶれ

 私の朝食はパンと紅茶、簡単な副菜といったものです。子供の頃を除けばずっと変わりません。よく米の飯を一日一回は食べないと、などと言う人がいますが、私は何日も食べなくても平気です。三食パンでも大丈夫なのです。魚より肉、シチュウやスープを好み、当たり前のように主食はパンが中心となります。聞く音楽は洋楽、イギリス民謡など聞くと心を揺さぶられます。ロッホ・ローモンド、アンニー・ローリーなどは自分がイギリス人でないことが不思議なほど馴染む曲です。なぜこんなことになったのか、自分でも良く分かりませんが、気が付いたらこんな生活様式が日常となっていました。「進駐軍」という名の米軍基地の近くで子供時代を過ごし、圧倒的な落差を経験したことがその原因の一つになっていることは間違いないと思うのですが、近所の子供全部が西洋かぶれになった訳ではないので私の個人的原因によるところが大きいのでしょう。
 では大人になった私は西洋に向かったかというと、イギリスもアメリカもヨーロッパにも行ったことがなく、もちろん英語も話せずロクに読めずにいます。もっぱら洋画と洋楽を家で楽しむ外には西洋と繋がりはありません。今では西洋かぶれなどという言葉は死語です。しかし私の中では欧米に対する憧れとコンプレックスが、いまだに燻っていることは確かなようです。そしてこのところのヨーロッパの反原発への素早い反応は、私の西洋かぶれにまたぞろ火を付けかねない雰囲気なのです。ドイツはじめ幾つかの国で原発からの離脱を決めました。都市構造や農業政策、市民レベルでの自治意識など見習うべき部分が多いヨーロッパですが、日本が不本意にも火付け役となった反原発への警鐘を、いち早く取り入れる先進性にはただただ驚くばかりです。火のもとではぐずぐずして何も決まらず、何を血迷ったのか都知事などは震災対策を示さないばかりか、性懲りもなくオリンピック招致に再度立候補すると言いだす始末です。3・11を天罰と言い、原発は必要と親子ともども言って憚らないボケ老人を再選する都民も、少しはヨーロッパを見習うべきでしょう。それやこれやで私の西洋かぶれはしばらく治りそうにありません。

私は床より畳が好き 爪とぎにいいから。