才能

 一芸に秀でる、もしくはその反対に多才に恵まれるなどの時に出てくるのが「才能」という厄介なもので、溢れるほどの才能であればまだしものこと、中途半端の出来そこないの才能は身を滅ぼすもととなる、と古来より言われている。なまじ少しばかりの才能があるために努力を怠り世の中を甘く見て、気がつけば手遅れの後の祭りという例は身近にも山ほどある。かと言って努力と精進を重ねたから成功が約束されるかと言えば、それは全く保障も無ければ手形も切ってもらえないことだから、担保のない融資みたいなものと言える。また才能は有り余るほど有っても無駄に使う、あるいは気付かない、気付かれないこともあるから、世間で言うほど才能に頼ることも出来ない。
 才能と言うのは持って生まれたおまけ付きグリコのようなもので、後付けしようとしてもなかなか叶うことではない。「人生は99パーセントの努力と1パーセントの才能・・」とか何とかいった人も居るが、やはり才能がなければ話にならない訳であり、努力などは才能の一形態であるから、才能も努力もある人の戯言のようにも聞こえる。努力まで才能と言われては凡人の出る幕は無いと思われがちだが、凡人が勘違いしている努力と才能としての努力は別物だ。目標に向かって緻密な計画を建て、その計画通りに実行できる才能を努力と言う。ただやみくもに突っ走るだけが努力ではない。そうして計画通りに力を尽くしても成功が約束されている訳ではない。だから名人、上手などという者には簡単にはなれない。
 で、私は何を言いたいのかと言えば、私には才能がなかったのだと納得するためにこれを書いたのだった。この程度のことを書くだけで納得できるレベルだったのだった。参ったよなあ、だったのだった。

どうでもいいことを…馬鹿ね。