神 空にしろしめす・・・か? その1

 私は無神論者なので神さんも仏さんあまり身近に感じることはありません。日本では“私は無神論者です”と表明しても、特別に異端視されたり特別な扱いを受けること無いのですが、外国では宗教に関心がないと言うだけでかなり白い目で見られるそうです。以前にカナダへ短期留学をした人から、日曜日に教会に行かないというだけでホームステイ先の家族からいろいろ言われて参った、といった話を聞いたことがあります。神の存在を否定でもしようものなら袋叩きに会うくらいの覚悟が必要だったらしいのです。キリスト教にしてもイスラム教にしても他の宗教にしても自分たちの神が唯一絶対なので、これは宗教全般に共通した決めごとのようなものでしょうから、これを否定されることは自分を否定されることと同じくらいの仕打ちなのでしょう。
 私も神の存在を信じかけたというか、縋りたくなった時があります。まあいろいろあって、話しても書いても長くなりますので省きますが、その時はかなり弱気になっていたこと、自分の力ではどうしようもない事態と向き合っていたことなどがその原因であったと今は考えています。その後一人で山に登る時に祠などを見つけると、殊勝にも手などを合わせてお辞儀をしたりするようになりました。神を認めたのではないのですが、特に一人で山に入る時などは弱気になるので、たんに無事を頼むというご都合主義の現れです。そんな気持でもお辞儀をして手を合わせてくると少し気持ちが安らぐのです。結局のところ、自分の内部で折り合いをつけているだけなのですが、苦しい時の神頼みを絵にかいたような振る舞いに照れ笑いをしながらやっていました。近頃では一人で登ることもないので手を合わす機会もなかなかありません。つづく。


肉丘に幸あれ!