余裕

 テレビで中学受験のニュースを流していました。ご苦労なことです。それに引き換え私などはぐうたらとのんびり暮しています。ゆとりある環境の中で暮すためにヒトはあくせくと正反対のことに精を出すようですが、矛盾している振る舞いとも思えます。一時期この国も“のんびりいこうよ”といったフレーズが流行った時がありました。学校でもゆとり教育とかが取り入れられて授業時間が減ったりしました。会社などでも残業はしないで早く家に帰るようにする取り組みがされた時期もありました。でも景気が悪くなるとそんな風潮は簡単に吹っ飛び、残業当たり前、塾通いに「お受験」で大人も子供も目が血走りクタクタの様に見えます。確かに給料の半分近い住宅ローン費支払いの上に子供の教育費では、共働きが前提でなければ成り立たない相談です。長時間労働と長時間勉強では親子ともどもクタクタになるのは当然の帰結なのです。しかし、クタクタになって帰ってくる街の道路は狭いし電柱だらけ、公園もろくに無ければ散歩も出来ない。おまけに家は高いローンの割には安普請で狭いからゆっくり寛ぐことなんかできないといった状態で、これでは明るいうちに家に帰っても仕方ないので、夜遅くなって周りが見えなくなる頃に帰宅となる訳です。ハウスメーカーが作るカタログのような生活は余りに現実と乖離したものと溜息をつくのです。
 でも、ものは考えようですから、そういった生き方に疑問も何も感じなければ「ああ良いお葬式だった・・」とフィナーレを飾れるので、いちゃもんをつける気は有りません。私はたまたま“あれ?”と思ったものですから出来るだけ好き勝手をして「余裕」で暮らしています。やることほとんどやっちゃたし、大して高望みしなかったし気楽なものです。受験会場の若人たちが少し可哀想ですが・・・。

余裕という言葉は私のためにあるの。