つづまやか

 「つづまやか」、簡素ということです。5月ごろにも同じようなことを書いたのですが、今では死語となった言葉です。倹約の約と書いて「約やか」と書きます。物に囲まれ物に頼って生きる暮らしをしていますから、とてもつづまやかになんかなれないのです。でも簡素な生活、シンプルライフにあこがれる人も多く、物を捨てることで生活を変える、生き方さえ変える、と言った本なども出ているようです。裏返せばそれだけ物に囲まれている生活を私達はしていることなのでしょう。
 簡素な生活にあこがれることは洋の東西を問わず、今も昔もあった考え方で、方丈記の 鴨 長明や森の生活のソーローなどが有名で(これも前に書いたかな)私もご多分にもれず両先生にかぶれたことが有りまして、ところがなんせ物欲の塊が歩いているような俗物ですから、思いと行動は隔たり激しく、未だ以ってつづまやかな暮らしには程遠い境地に甘んじているのです。しかし、いつかきっと約やかになって、“この世のほだし持たらぬ身に 空の青さのみぞ惜しき”などと嘯いてみたい思いは種火のようにくすぶっていてはいるのです。
 ヒトが地球の許容範囲内で生きるとするなら、先進国も開発途上国もこの「つづまやか」がこれからのキーワードになると思うのですが、物に埋まっている私が言っても全く説得力の無いことは承知したうえで、少し真剣にそんな議論もする時期なのかとも思います。でも、自国は原爆や水爆を持っているけど他国は持ってはいけない、と言った論理が通用するレベルの世界ではまあ無理でしょうねえ、それは私のレベルと同じだもん。

後ろからヒーターの風が来て気持ちいいのよ つづまやかなんてね・・・。