おそらく、これまで地球上に生まれた生物の中で、ヒトはかなり大きい脳を持っている種族であることは間違いなく、体重比からすると一番大きいのではないでしょうか。ヒトの脳は平均で体重の2パーセントと言いますから、体重60キロであれば約1200グラムの脳を持っていることになります。脳の機能や役割については大分研究が進んでいるようですが、なんせ生きている人の脳にいろいろ手を出す訳にもいかないので、まだまだ未知の部分が有るようです。それでも様々な機能局在が明らかになっていて、言語、運動、視覚や聴覚などの五感の外、いくつもの受け持ち区域が脳には決まっているようです。「ペンフィールドの小人」と言う少し気味の悪いイラストでは脳の機能局在が分かりやすく?説明されています。
 ヒトはこの脳のおかげでウォシュレットのトイレを作ったり、冷房や暖房をすることを考え快適な暮らしを実現しました。ではこの脳の力で幸せになったかと言うと、必ずしもそうでないようにも思えます。サルからヒトに進む間に無くしたものも多いのではないでしょうか。例えば、木と木の間を自由に飛びまわる能力、寒さや暑さをある程度しのげる体毛、木の実や新芽などで間に合う食事習慣、それからもっとたくさんの力を捨ててきたでしょうし、その見返りに脳の機能が大きくなった、と思うのです。しかし脳が大きくなることで新たな事態も生まれました。中でも死の恐怖と将来への不安はとても大きくのしかかってきた問題です。死への恐れは明日の食べ物は、明日の寝る場所は、明日の天気はなどと同様に不確かなことへの不安であり、もう心配の種は次から次と生まれてくるようになってしまったのです。木の上で太平楽に昼寝をしている時には想いもつかない、とんでもない事態になってしまったと言えます。ウォシュレットは、一度使うとそうでないトイレは敬遠したくなるほど快適ですが、「明日の心配」をしなくて良いのなら紙だけで我慢しても良い気がします。しかし“覆水盆に返らず”で、これからも有るか無いか分からない不安と付き合い続けて行く運命なのでしょう。進化も難儀なことです。

私はヒトのように頭でっかちではありません。