検察のストーリー

 “検察のストーリーには乗らない”こう既然と言いはる方は元地検特捜部の副部長で、言わば「ミスター検察」のような人物です。同時に逮捕された特捜部長も“徹底抗戦する“と言っています。これが市井の普通の人達なら、何ら可笑しくも不思議でも無いのですが、何とも妙な雲行きとなっています。
 現役の検察幹部が“ストーリー”云々などと言うのは、かつて自分もそう言った経験をお持ちだからでしょうか。素人が思うに、検察は事実を積み重ねることで真相に迫る作業を旨とする部署で、勝手に物語を作る作家集団ではないと承知していました。聞くところによると、検察もご多分にもれず「成績主義」のようで、起訴した案件の有罪率を競うかのような風潮に支配されていると言います。もしそうであるなら、何が何でも“ストーリー”通りに進めたくもなるでしょう、なんせ昇進と言うニンジンが目の前にちらつく修羅場に生きるのですから。しかし、それは自らの首を絞める修羅場でもあると、冷静に考えれば判断がつくことと思います。そう言った論理思考はお手の物の集団なはずです。“徹底抗戦”も勇ましくて良いかもしれないのですが、身内同士でやり合ってもあまりにみっともなく、もう少し冷静な物言いが出来ないものかと首をひねってしまいます。関西グループと東京グループとの対立なんて話も聞こえてきますが、どっちにしても検察の仕事とは関係ない分野での張り切りは困ります。
 
                 私の考えるストーリーは・・。
「成績主義」と言われる職場操縦法は、最初民間企業でもてはやされ、その後公務員の職場に導入されました。いつもそうなのですが、公務職場に入る頃には成績主義の弊害が指摘され始め、すでに民間企業の分野では成績主義の見直しがされるようになっていました。検察や警察、一般行政の場に成績主義や効率主義を持ち込む場合は高度なテクニックが必要と言われます。思いつきや予算削減だけでは“角をためて牛を殺す”ことになりかねません。もし今回の事件の根っこに成績主義があるとするなら、そのストーリーを考えた人達、もしくはそう言った考えを生む土壌に危険が内在しているとは言えないでしょうか。