未知と既知 自閉症について思ったこと

 昨日の本の関連のようなものですが、自閉症は未知のものに対する対応が難しいと言います。知らない人、知らない場所、知らない食べ物などに拒絶反応を示すそうです。日常の中ですでに知っているもの、例えば家族、何時も食べている食事、何時も行く場所などでは、つまり既知には対応出来るのです。もちろん一口に自閉症と言っても症状はいろいろなようで、簡単に言うことは出来ないでしょうが、そう言った傾向は有るようです。家族に自閉症の兄弟が居る人の話の又聞きですが、知らない人と直接話すことは難しいけど家族が介してなら会話できると言います。知らない人とコミュニケーションをとることは私も緊張します。相手との間合いを掴むまでかなり神経を使うこともあります。また知らない場所に行く時や食べ付けないものを食べるのも緊張を強いられることが有ります。誰でも慣れ親しんでいる物や場所は精神的に落ち着くものです。このように考えてみると、自閉症とそうでない状態との違いはさほど無いようにも思われます。
 引きこもり、鬱といった症状も自閉症の範疇に入ると言われていた時期もあったようですが、今では全く別のものとして考えられています。引きこもりあるいは鬱は治療によって完治できる病気です。自閉症の場合は遺伝的要因による発達障害とされていますから、今のところ治療法が確立されていません。「くらやみの速さはどのくらい」では画期的治療法が開発され治験の対象として主人公が治療されます。遺伝が原因と言われる病気は、ヒトの遺伝子ゲノムが解明されるにつれ増えてくると思われ、遺伝子の操作や脳細胞への直接の治療により、完治できる道が開かれる可能性があります。しかしそれはヒトの人格にも影響を与えるかもしれず、まさに未知の分野です。慣れ親しんだところから未知のステージに移ることは、ある意味では過去を捨てることにもなる訳で、苦痛からの解放と言う病気治療の大きな目的との整合性、せめぎ合いが課題として残るような気がします。つまりノーマルな状態が絶対的に優れていると言うことは、必ずしも真理ではないかもしれない、などと考えても良いと思うからです。進んで病気になりたいとは思いませんが、そういった状況もその人の人格に寄与している要素でもあるのですから・・・。長くなりそうなのでこの辺で止めます。

この方は未知であり既知でもあります。