もらう の考察2

 くどいようですがまた「もらう」についてです。
気に障る用法であることは昨日申し上げた通りです。しかしなんで気に障るかについて、少し考えてみました。「もらう」という意味は、他人からの所有権の移動を示しています。今よく使われる「元気をもらった」との言い方は、以前は「元気づけられた」との物言いで無かったかと思います。これはどう違うのか。前者は元気と言う物を他人から貰い、つまり所有権の移動が介在し、それにより自分の精神の高揚を図る、という意味に解釈されます。では後者はどうかと言うと、他人の行動を見たり触れたりすることで、自分に「元気になれ」と叱咤激励する行為を通し精神の高揚を図ることと定義されるかと考えます。換言すれば、他力なのか自力なのかと言うことではないでしょうか。これは消極的に他人のくれるものを待つ暮らしと、自分の食い扶持は自分で稼ぐ暮らしとの違いにつながると言えるでしょう。元気とか勇気を他人からもらい、それを使って何事か行うのは、行動をする自分の意思、判断を曖昧にし、ひいてはその行動の責任の所在も曖昧にしてしまう危険を孕んでいるとさえ思えます。
 例によっての与太話ですから大した意味も無く、これと言った検証にもとづいての話ではありません。草食系人間が増えたとか専業主婦願望が蔓延し始めているなどと聞くにつけ、この「もらう」と言う用法が気にかかったのです。草食系も専業主婦も決して悪いとは思いません。むしろ良い傾向に思えます。ただし、個の確立と経済的自立を前提としないこれらの動きは奴隷願望に近いものを感じることも事実です。

あら 真面目なんだ。