日本国憲法

 どうやら今度の選挙の結果、いわゆる“改憲勢力”と見られる議員数が全体の3分の2を超えて、改憲の発議を行う具体的なスケジュールの方向に一歩踏み出していくような、そんなムードとなってきました。ただ“改憲”の中身については呉越同舟と言うか、必ずしも同一歩調が取れるとも思われないのですが、世界の中でも稀にみる“理想憲法”とも言われる日本国憲法の、その一端にメスが入るような一種の怖さを感じます。
 言うまでもなく私は護憲派ですから改憲には反対ですが、日本国憲法の持っている最大の矛盾とも言うべき第1章の存在については検討すべき余地があると考えています。それは日本国憲法の大きな柱が、国民主権、平和主義、そして基本的人権の擁護であり、基本的人権を「侵すことのできない永久の権利」(第11条)と規定しながら、第1章で天皇という特例を認めてしまっているジレンマを抱えているということです。にも拘らず第2章の「戦争の放棄」、第3章の「国民の権利及び義務」にいたる流れの中で、格調高く人類の理想とすべき目標を掲げています。また特筆すべき「前文」においては日本国国民の進むべき方向を指し示して、そのための決意と確認を宣言しています。もしこの憲法の趣旨と目標が世界で共有され実現される、あるいはその実現に向けて不断の努力が為されるとするなら、人類の未来は決して捨てたものではないと私は考えています。
 ともあれ、総選挙の結果は改憲を声高に叫ぶ政党及び党首を言わば信任したわけで、選挙と改憲とは違うという声もありますが、私のようなものにとっては残念な結果となりました。保守化傾向という流れが現状維持、あるいは変革に無関心のレベルなのか、それとも懐古的、逆行的となるのか、いまひとつ判断できませんが、ある意味でこの国が、よく言えば成熟、別の言い方をすれば老成、あるいは閉塞しつつある社会となったことの現れとも思えます。どちらにしても、これから数十年後のこの国の行く末を見ることはないので、日本国憲法という稀有な存在の出来るだけの長寿を期待するばかりです。

稀有ではないですが長寿して欲しいと心より願っております。